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Werner V

ザーリアー朝の祖であるヴェルナー5世

ヴェルナー5世独語Werner V、899年? - 935年)は、中世ドイツザーリアー朝の祖である。ナーエガウ伯・ヴォルムスガウ(ヴォームスガウ)伯・シュパイアーガウ伯(在位:901?年 - 917年)・フランケン公(在位:918年 - 935年)を兼ねた。はじめはザーリ(Sali)[1]と呼ばれた。

カロリング朝のロタリンギア王国の王・ツヴェンツィボルト(ツヴェンツィポルト)の末子で、生母はザクセン朝(リウドルフィング朝)のオットー1世の娘のオーダである。兄に夭折したゴットフリートことゲッツ(Gottfried=Götz)、姉にベネデッタ(Benedetta)・ツェツィリーア(Cecilia)、妹にレーレンダ(Relenda)らがいる。

妻はコンラーディン家(Konradin)のドイツ王であるコンラート1世若王[2]の娘のヒッカであり、二人の間に長男のヴェルナー6世(夭折)と次男のコンラート1世赤毛公と一人娘を儲けている。

概要編集

2歳のときに父を失い、兄のゴットフリート(ゲッツ)も夭折していたおり、さらに母のオーダもジラール家[3]のメッツ伯のジェラール1世と再婚したので、亡父の後を継いだ叔父のルートヴィヒ4世幼童王の命で、祖母の実家であるヴァラホ家(Walaho)の当主で、従父でもあるヴェルナー4世[4]が891年に嗣子がないまま逝去し、ヴァラホ家が断絶した。そのため爵位の空位が10年間も続いたので、ヴェルナー4世の娘で、族姉でもあるヴィルトルート(Wiltrud)がヴォルムスガウ(ヴォームスガウ)伯・シュパイアーガウ伯の代行をした。後にザーリはそれを相続する形で、ヴェルナー4世の養子となった。

まもなく、ザーリは「ヴェルナー5世」と改称し、亡き養父のヴェルナー4世からヴォルムスガウ(ヴォームスガウ)伯・シュパイアーガウ伯を相続した。918年に岳父でもあり、従兄でもあるコンラート1世若王が逝去すると、コンラーディン家の女婿の立場でフランケン公を相続した。

同時に彼は前名の「ザーリ」をちなんでザーリアー朝を興したのである。935年にヴェルナー5世は37歳で病気のために逝去した。子のコンラート1世赤毛公が相続した。

脚注編集

  1. ヴェルナー5世の祖母の実家であるヴァラホ家が、元来がゲルマン系のフランク族の系統であるザーリ族(Sali)の有力部族であったことを由来する。
  2. ヴェルナー5世の岳父であると同時に従兄(ツヴェンツィボルトの姉がコンラート1世若王の生母である)でもある。
  3. ドイツ語では、マトフリーデ家(Matfriede-Haus)と呼ばれる。
  4. 祖母の兄のヴェルナー3世の子。

関連項目編集

先代:
コンラート1世若王
フランケン公
918年 - 935年
次代:
コンラート1世赤毛公
先代:
ヴェルナー4世
ヴォルムスガウ伯
901年? - 917年
次代:
コンラート1世赤毛公
先代:
ヴェルナー4世
シュパイアーガウ伯
901年? - 917年
次代:
コンラート1世赤毛公
先代:
ヴェルナー4世
ナーエガウ伯
901年? - 917年
次代:
コンラート1世赤毛公