アルプレヒト3世(Albrecht III)は、ドイツの君主・諸侯の名前。
- アルプレヒト3世 (ハーメルン伯)(アルベルト3世、1135年 - 1197年あるいは1202年):エーファーシュタイン(エーフェルシュタイン)家のアルプレヒト2世(アルベルト2世、1099年? - 1158年)の子、コンラート2世(1130年? - 1200年)の弟。妻は1167年に結婚したポーランド王女のリヒェンツァ・ピアステン(リクサ・ピャスト、1136年 - 1185年)で、その間に子のコンラート3世(コンラート4世の父)とアルプヒト4世(1170年 - 1217年、アルプレヒト5世の父)および、オットー1世(オットー2世の父)・ルートヴィヒ1世・ヘルマン1世らを儲けた。ヴェルフェン=エステ家のハインリヒ3世獅子公の宿敵でもある
- アルプレヒト3世 (グルーベンハーゲン家):ヴェルフェン=エステ=ビュッテル家のグルーベンハーゲン家のエーリヒ1世の子
- アルプレヒト3世:上記同様のゲッティンゲン公のエルンスト1世の子
- アルプレヒト3世 (ゲッティンゲン家)(アルプレヒト4世):上記同様のゲッティンゲン公のオットー3世隻眼公の子
- アルプレヒト3世(ザクセン公):アスカニアー(アスカン)家のオットー4世の子、ヴェルフェン=エステ=ビュッテル家のツェレ公・ヴィルヘルム2世の外孫(娘のエリザーベトの子)にあたり、嗣子がない外祖父の後を継いだ。しかし、外祖父同様に嗣子がなくアスカニアー(アスカン)系のリューネブルク公のツェレ家は断絶した(以降はヴォルフォン=エーファーシュタイン家のベルンハルト1世がアルプレヒト3世の叔父である共治者のヴェンツェル(ベルンハルト1世の岳父)を倒して、力ずくで相続した)
- アルプレヒト3世:ハプスブルク家のヴェルナー3世の子、オットー3世の兄、ルドルフ2世の父。
- アルプレヒト3世(オーストリア公):上記のエツィキョーン家のアルプレヒト3世の末裔のひとり
- アルプレヒト3世(メクレンブルク=シュヴェリン公) → スウェーデン王・アルブレクト(Albrekt)
- アルプレヒト3世(バイエルン公):ヴィッテルスバハ家
- アルプレヒト3世 → ブランデンブルク選帝侯のアルプレヒト・アキレス:ホーエンツォレアン家